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 最近 吉川英治の私本太平記を読みまして、南北朝時代の鎌倉の遺跡を
 探して、来ました。 (あくまでも私の主観です。)

 鎌倉がもっとも華やかだったのは、鎌倉時代ですが、北条幕府に反発し これに挑戦
 した、後醍醐天皇 それに纏わる人物 新田義貞 足利尊氏 楠木正成 第14代北条高時
 それぞれ、各地で争いがありました。

 九州 河内 吉野 壱岐 京都 鎌倉 この時代のめげない 逞しさは尊敬します。
 



稲村ヶ崎
新田義貞の鎌倉攻め、1333年 5月21日 三手に分かれ
極楽寺坂切り通りから 鎌倉攻めするが、進入出来ず。
敵の浦をかいて、稲村ヶ崎の海岸沿いに進入をする。

この時、義貞 海に黄金の太刀を投げ入れると 潮が
ひいたとの伝説があるが 義貞は満ち潮の時期を知って
いたのではないか。

極楽寺坂 切り通し
北条軍と新田軍の激戦地、上杉憲方が戦死 近くに墓があります。
結局 稲村ヶ崎経由で鎌倉に攻め入る。

日野俊基の墓
後醍醐天皇の側近、1324年 北条倒幕の謀議に加わる
が 捕らえられ 鎌倉に送られる。
再度 陰謀が幕府に漏れ、1332年 処刑される。
近くには、俊基を祀った 葛原岡神社がある。

大塔宮護良宮親王が閉じこめられた 土牢
明治天皇により創建された、鎌倉宮内にある。
後醍醐天皇の第三皇子として誕生

鎌倉幕府の倒幕時、足利尊氏と意見の対立で 
捕らえられ、鎌倉に送られ約9ヶ月間閉じこめられる。

尊氏の弟 直義が、北条時行に破れ逃げる時 、
直義の側近の淵部義博により、暗殺される。

大塔宮護良宮親王の墓
鎌倉宮から少し離れた 山の上にある。
大塔宮護良宮親王 1308-1336 享年 28才

武術が好きな 皇子で楠木政成と共に 吉野城 千早城
の戦いで良く堪え忍んだのですが、最後は 後醍醐天皇の
命令で捕らえられ、鎌倉の土牢に幽閉される。

(番外)  源頼朝の墓
鎌倉幕府の祖

波乱万丈の人生で、12才の時 平治の乱で平家に破れ
清盛の情けで、伊豆に流され 北条時政の娘 政子と知り合い
1180年 平家討伐の旗をあげる。

その後は、義経の活躍で 1192年鎌倉幕府を作る。
鎌倉源幕府は、頼家 実朝の三代で終わり
北条幕府に変わる。14代続くが、後醍醐天皇の抵抗により
天皇家が、分裂する 南北朝が60年続く

その中で源家からは、新田義貞 足利尊氏が蜂起し
北条幕府を、討伐する。

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